2005年10月14日

殺伐とした世の中

えいちあーる亭さんのブログにこんな記事があった。
ほっとけない心のまずしさ
・・・すごく考えさせられた。
国勢調査にまつわるいろいろな事件は確かに
テレビで見た気がするのに、それをサーッと聞き流していた
自分の気持ちに対して、ものすごく恥ずかしくなった。
阪神優勝にウツツを抜かして思考停止している私の
気持ちがグワンと動いた。

日本人には宗教を信仰しない代わりに世間教とも言える
世間体という名の宗教があったと思う。
神様ではなく人様。
隣近所の人たちへの体裁を保つことでこの国は
秩序が保たれていたんだろう。
世間体をバカにする風潮が私たちの世代には確かにある。
でも、それが崩壊した結果、
私たちの社会はとんでもないことになってしまった。
今や私たちは地道に町内を回って調査票を集めてくれる
国勢調査員の方たちの、労をねぎらうどころか
彼らを追い払うような民族に成り下がってしまったのだ。

国勢調査のシステムそのものを批判する話もある。
これまでの日本人の性善説に基づいた
システムの脆さを衝いて犯罪を犯すならず者もいる。
だから国勢調査なんてやめればいいという人がいる。
でも、それは今現実に行われているこの調査のために
ボランティアで調査票を集めてくれている人たちと
何の関係があるのか。
その二つは分けて考えるべきだと私は思う。

>国勢調査に記入するレベルの個人情報など
>いともたやすく手に入れられるこの国の
>行政システムのなかにあって、国政調査員の老人を
>邪険にしてまで守ろうとするものは何なのか?
>守るべきものは、人に関わるまいと目をつむったまま
>蝕まれていくおのれの心。

という、えいちあーる亭さんの指摘。私も同感だ。
決して時代遅れの調査システムのせいで、トラブルが
起きているのではない。
しかも、前回の国勢調査の時にはこれほど多くの
トラブルを聞いた気がしない。
おそらく日本はこの数年、ものすごいスピードで
人々の心が個人主義に蝕まれてしまったんだろう。
皮肉なことに、そんな世相だけが浮き彫りになった。
国勢調査は国民の現状を表す定点観測なんだと思った。

性善説が成り立っていた頃の日本に戻ることは
もうできないのだろうか。
このところ、毎日テレビから流れる株の買占め話に
うんざりしながらそんなことを考える。
私自身、ホリエモンの時にはあんなにびっくりしたのに、
今や「またか」と思うだけだ。
嫌悪感を持っていたはずの話に麻痺している自分。
時代の流れなんだろうが、気持ちが殺伐としてくる。
こんなに殺伐とした気持ちにさせられた時点で
彼らがどんなに正しかろうと、私はあの人たちが嫌いだ。
彼らについては長くなるので、また今度にしよう…。
posted by ぐうたら主婦 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュースから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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