2005年07月07日

憧れの女性

昨夜、遅くに東京の葬儀から帰ってきた。
亡くなったおばさんは粋でモダンでかっこいい人だった。
ここ数年は施設に入っていたのだが、私は
おばさんと8年前に最後のお別れをしていた。
80歳を過ぎて物忘れが激しくなったと感じたおばさんは
「私はこれからどんどん老いて訳が分からなくなっていく。
 もう、あなたが東京に来てくれても満足なことがして
 あげられないし、あなたにはそんな姿を見せたくないの。
 だから、これでおばさんとはお別れよ。あなたといろんな
 芝居に行けてとっても楽しかった。これ、私の形見」
と静岡に来て私に香水と切り子のグラスをくれた。
当時の私はまだ若く、悲しくなってしまい
「そんなこと言わないで。また一緒に歌舞伎に行こうよ」
と言ったのだが、
「どうせ死ぬ時は誰かに迷惑をかけるんだから
 これは自分にできるせめてもの人生の後始末なのよ。
 大好きな人とは自分がしっかりしているうちにお別れしたいの」
とおばさんは笑っていた。教養豊かで、聡明な女性だった。
尊厳死という言葉を始めて教えてくれたのもおばさんだった。

そして、本当にそれがさよならになった。
施設に入ってからのおばさんのお見舞いに行こうかと
思ったときもあったが、私にそんな姿は見せたくないに
違いない。どうしても行ってはいけない気がして、
ずいぶん悩んだが、結局一度もお見舞いには行かなかった。
義理を重んじたり世間体を大事にするならば、
何としてもお見舞いに行くことを選ぶ人もいるだろうし、
きっとその方が世間一般的には正しいんだろうと思う。
多分、うちのシュウトメのような人はそうするだろう。
だから、亡くなったと聞いた時、一瞬後悔が胸をよぎったが
私はこれでよかったんだ、約束を守ったんだと思うことにした。
棺桶の中のおばさんに
「お見舞いに行かなくてごめんなさい。
 でも、これでよかったんだよね?」
と心の中で話しかけた。
今となっては答えはないが、きっと許してくれたはずだ。

おばさんは、まだ男性でもあまり車に乗らなかった時代に
車の免許を取り、自家用車で都内を走り回っていたらしい。
昭和30年代の初めには、いつも8mmカメラを担いで出かけ
東京や外国のいろんな場所を撮影するのが趣味だったそうだ。
あれはNHKに寄付したらどうか、と精進落としの席で
当時を知るお年寄りたちが話していた。
戦後、事業を興し成功して財を成し、子供が成人してから
離婚した。型にはまらない人だったのだ。

子供の頃の私から見ても、身近にいる女性とは
明らかに何かが違うなと感じる人だった。
静岡に来る度に、この辺りではまだ見かけない
珍しいお土産を持ってきてくれた。
いろんなものをもらったが、中でも
・口の中でパチパチはじけるキャンディー
・ブーブークッション
が特に思い出深い。今では珍しくもなんともないが、
幼稚園児の私には刺激的なお土産だった。
イスの下に隠して家族を座らせては「ブーッ」と鳴るのを楽しんだ。

新しいもの好きの反面、歌舞伎にも造詣が深く、私が
中学生になると、私を何度も歌舞伎座に招待してくれた。
「イヤホンガイドみたいな無粋なものをしたらダメ」
と、コーヒーをコーシーと言う江戸弁で歌舞伎の楽しみを
たっぷりと教えてくれた。おばさん曰く
「私は6つから歌舞伎を見てきたけど、子供にだって
 理解できるんだからイヤホンなんてする必要なし」
と言っていた。私はおかげで大の歌舞伎好きになった。
大人になってからも一度もイヤホンは借りたことがない。
初心者の友達と行く時も「あんな無粋なもの」などと
おばさんのマネをして聞かせない。
生き方や考え方を真似したくなるそんな人だった。

しゃきっとしていて、男勝りで、いたずら好きで粋な女性。
私はあんな人にはなれないだろうけれど、
少しでも近づけるように、これからもおばさんとの思い出を
大切にして生きて生きたいと思う。永遠の憧れの人だ。
posted by ぐうたら主婦 at 18:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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